混声合唱団愛知学院大学グリークラブ

2012年12月

IMG_1705『八日目の蝉』という小説が昨年映画化もされ大ヒットしましたね。
私とこの本との出会いは、「宗教法A/国家と宗教」という講義を受講していた際、担当教員がこの本を読んで感想文を書けという課題を出したことがきっかけでした。
最初は講義の内容とはまったく関係のない内容の小説を読むことに違和感を覚えましたが、よんでみたらこれが面白いこと。
同じ講義を受講していた法学部の友人としばらくはこの小説の話題で持ち切りでした。
何よりラストがよかったですね(ネタバレになるのでいいませんが)。
友人達は映画も見に行ったそうです。
私も一緒に見に行く予定だったのですが、バイトで行けませんでした。。。
行きたかったなー。

この本のなかで「がらんどう」という言葉が何度か出てきます。
あまり口語において多用する表現ではありませんんが、皆さんも気なしに使っているでしょう。
「がらんどう」という言葉について、「がらんとした閑散とした胴」「空洞」からきた言葉というイメージが強いようですが、実はこの言葉の語源は「伽藍堂」という寺院です。
伽藍というのは僧侶が集まって生活している建物のことをいいます。
愛知学院大学の創立母体である曹洞宗の大本山永平寺は七堂伽藍という建築方式を採用していますね。
伽藍堂というのはその中でも、伽藍神という寺院を守護する寺神を祀ってある建物のことをさすそうです。

その伽藍堂にはなにもおいていないことから、空虚で閑散とした状態のことを「がらんんどう(伽藍堂のようだ)」というようになったそうです。


書見などしているときにふと目に入ったり気になった言葉等の意味を調べると、
「あー間違ってつかってたなぁ」
なんて思わされることは多々ありますが、語源というのはなかなか調べる機会がありません。
しかし、合唱をしていると、詩人の詩にふれることは不可欠ですし、語源まで遡ると見えてくる解釈等もあります。
好奇心というのは大切ですね。


皆さん冬休みはいかがお過ごしですか?
僕は団外で所属している響も年末休みに入ってしまい、そろそろ 歌いたくなってきました……。
毎日動画で合唱を聞いている体たらくです。
だれか有志で適当に音取りしようぜ
といっても、今頃みんな四国や郡上や静岡ですかね……

わかれうたの野口さんの伴奏すてきですね。
そしてなにより野口さんすてきですね。
そしてなにより野口さんすてきですね。

大事なことなので二回いいました。

先日高校の合唱部の同期と飲みに行きました。
彼もまた立命館の男声合唱団で歌を続けています。
3時間くらい名駅のドトールでだべっていたのですが、思い出話、合唱話、大学の部活の話題で話はつきませんでした。
やっぱり合唱仲間はいいですね。
合唱って見た目ももちろん大切ですが、なりふり構ってられないときもあります。
傍から見たらどう見られているかなんて気にしてられないくらい合唱に打ち込んだからこそ、彼との関係が今あると思います。

中島みゆきの楽譜もっとたくさん作りたいけど、皆音とりしてくれるかな。
でもせっかく音取りしても発表する機会がないんだよね。
いどっちゃんどっかから見つけてきてくれよ。

本クラブが秋の演奏会で演奏した中島みゆき作曲の「空と君のあいだに」が立命館大学男声合唱団メンネルコールのフェアエルコンサートの選曲候補に挙がりました。

この楽譜は本クラブが秋の演奏会に向けて男声用に編曲したものです。
音源を動画サイトにアップしたところ、当該動画を視聴してくださったメンネルコールの方から楽譜が欲しい旨の通達をいただきました。

今日はその立命館大学の方と一緒に名駅に映画を見に行き、その後少し盃を交わし、楽譜をお渡ししました。ぜひ演奏していただきたいものです。
編曲、演奏が認められ、他団の方に自分たちも演奏したいと思っていただけるのは嬉しいことですね。
演奏家冥利に尽きるというものです。

本格的にネタがなくなってきたので、ここは一つ就活に役立ちそうな時事ネタでも取り上げてみようかと思います。
就活で問われる時事問題は、その業種に関わるものだけでなく、世間一般の関心ごとを問われることが多いようです。当該業種に関係する最新情報・知識を問うというより、社会人としての最低限の教養を問うているといえるのではないでしょうか。

そこで今回取り上げるのは「死刑制度」についてです。死刑の存否は私たち国民に直接に関係します。もはや国会議員や法学者、法学部の学生だけの論点ではないといえます。この問題はぜひ知っておくべき議論であるし、近い将来有権者として決定を迫られる日も遠くないはずです。では本題です。

死刑について要・不要を判断する際、感情論で議論してもなんの意味もありません。
必要だと主張する場合は死刑制度は合憲である旨説明する必要があります。
逆に不必要である場合には違憲(憲法に違反する)である旨説明するべきです。

私の周りの人たちは感情的に死刑はあるべきという人が多いので、今回はあえて死刑廃止論者の立場で、皆さんに疑問を投げかけます(かくいう私も死刑存置主義ですが)。

死刑の合憲性は憲法36条が禁止する「残虐な刑罰」にあたるかどうかで争われています。
36条の禁止する残虐な刑罰とはどのようなことを指しているのでしょうか?
「絞首によって命を奪う刑罰」は、残虐な刑罰といえるのでしょうか?

なにが残虐な刑罰かというと様々な意見があると思いますが、一つの意見として、刑罰の正当化根拠と照らし合わせて辻褄があわなかったり、行き過ぎた刑罰でとてもそれを正当化できないというものを残虐だということができるでしょう。

つまり刑罰の正当化根拠一般に照らして、死刑という刑罰は辻褄が合っていないとか、行き過ぎた刑罰で、到底正当化できないということが言えれば、死刑は廃止するべきだということになります。

ここで刑罰の正当化根拠について述べておきます。
刑罰の正当化根拠は、一般的に「応報刑論」と「帰結主義論」にわかれます。
応報刑論とは簡単に言えば、罪を犯したのであるから、罰をうけることは自然なことだとして、刑罰を正当化します。
帰結主義論は、刑罰のもたらす効果に着目するものです。
帰結主義論によれば、刑罰の正当化根拠は、刑罰が社会一般の犯罪の発生を抑止するという効果に着目した一般予防と、犯罪者個人の更生を目指すという特別予防に分かれます。

ここで帰結主義論の特別予防に着目しましょう。
死刑という刑罰について言えば、特別予防はありえません。
死んでしまった犯罪者の更生などあり得ないからです。

次に一般予防について考えてみましょう。
一般予防の典型例は功利主義者のジェレミー・べンサムです。
彼の主張では、人間とは自らが感じる快楽と苦痛とに反応して行動するものだとしています。
つまり、犯罪による快楽より大きな苦痛をあらかじめ用意しておけば、人間は苦痛を逃れるため、罪を犯すことを避けるということです。
一見筋の通った話にも聞こえますが、犯罪の予防という社会的な利益のために、個人の生命を否定していいのかという疑問が残ります。
憲法13条は個人の尊重を基本原理として掲げているのです。

では残るのは応報刑論です。
応報とは罪に応じて罰を与えるということです。
ではなぜ罪に応じて罰を加えることが正当化されるのでしょうか?

刑罰とは必ず、罪を犯した人に対して課されなければなりません。
これを間違えると冤罪になってしまいます。

つまり応報刑論とは刑罰を正当化する根拠というより、予め正当化され制度化された刑罰を誰に対して加えるかという配分の原理だということになります。

ここまでの議論で、応報刑論も、帰結主義論も死刑を正当化する根拠としては役に立たないことになりました。
つまり死刑は刑罰ですが、刑罰の正当化根拠によって正当化できないのです。


……………………………
皆さんはこの問いを聞かれたとき、どのように反論しますか?
もちろん死刑存置側からの有力な反論などもありますので、これがすべてではありません。
大事なのは自分の頭で考え自分の言葉で説明することです。
死刑制度に関することだけではなく、すべてに共通することだと思います。

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12月25日、男子忘年会がクリスマスに予定のない本クラブ男子によって催されました。
前々日に企画された突発的なイベントであったにも関わらず、帰省した一部を除いたすべての男子部員が結集するという優秀な出席率を打ち出しました。 



一次会は池下の居酒屋において行われました。
男子部員のみということもあり、無礼講甚だしく、先輩・後輩の垣根を越え、さらに親睦を深めることができました。
世間ではクリスマスということを忘れてしまいそうな、雰囲気には脱帽せざるをえません。
しかし、これでクリスマスは終わりました。彼らの悲歌慷慨の日々は去ったのです。
明日からは、かつてのようにまた堂々と外を歩くことができるのです。

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主催者から配布された開場への地図。雑です。
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晴れて酒を飲める歳になった彼ら。普段はおとなしい子達ですが、昨日はなかなかいい感じに酔っていました。
※左から杉本(テノール)、加藤大(バス)、加藤悠(テノール)、鈴木(バス)

一次会で盃を交わし、互いに労を慰めあった後は二次会としてカラオケにいきました。

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カラオケも安心して聴ける優秀なテノールの後輩達。
※左から加藤悠(1年)、杉本(2年)

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これに対してバスの後輩達は完全にパフォーマンスに特化しています。
先輩達の教育が良いのでしょう。加藤大(2年)



カラオケ会の後は、終電を逃してしまったため、解散し損ねてしまいました。
そのため、ひとまずラーメン屋でラーメンをいただいて冷静になり、近くのガストで延々懐かしい手遊びをしたり、寒空の下で麻雀大会を開催し、始発までを過ごしました。


彼らの来年のますますの活躍に期待です!!
新年会もお楽しみに!!

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