
私とこの本との出会いは、「宗教法A/国家と宗教」という講義を受講していた際、担当教員がこの本を読んで感想文を書けという課題を出したことがきっかけでした。
最初は講義の内容とはまったく関係のない内容の小説を読むことに違和感を覚えましたが、よんでみたらこれが面白いこと。
同じ講義を受講していた法学部の友人としばらくはこの小説の話題で持ち切りでした。
何よりラストがよかったですね(ネタバレになるのでいいませんが)。
友人達は映画も見に行ったそうです。
私も一緒に見に行く予定だったのですが、バイトで行けませんでした。。。
行きたかったなー。
この本のなかで「がらんどう」という言葉が何度か出てきます。
あまり口語において多用する表現ではありませんんが、皆さんも気なしに使っているでしょう。
「がらんどう」という言葉について、「がらんとした閑散とした胴」「空洞」からきた言葉というイメージが強いようですが、実はこの言葉の語源は「伽藍堂」という寺院です。
伽藍というのは僧侶が集まって生活している建物のことをいいます。
愛知学院大学の創立母体である曹洞宗の大本山永平寺は七堂伽藍という建築方式を採用していますね。
伽藍堂というのはその中でも、伽藍神という寺院を守護する寺神を祀ってある建物のことをさすそうです。
その伽藍堂にはなにもおいていないことから、空虚で閑散とした状態のことを「がらんんどう(伽藍堂のようだ)」というようになったそうです。
書見などしているときにふと目に入ったり気になった言葉等の意味を調べると、
「あー間違ってつかってたなぁ」
なんて思わされることは多々ありますが、語源というのはなかなか調べる機会がありません。
しかし、合唱をしていると、詩人の詩にふれることは不可欠ですし、語源まで遡ると見えてくる解釈等もあります。
好奇心というのは大切ですね。